「俺もサラリーマンやめて起業しようと思う」 「っていうかする」
2017年12月6日、私が起業すると決めた日。
このLINEメッセージを送ったことで私の人生は大きく変わった。
今でもたまに見返し、当時を思い出す。
2017年7月、夏もいよいよ本番という暑さを迎える頃、結婚を間近に考えていた私は、
同居する部屋探しや結婚指輪をどうしようかと、まるで起業とは程遠い考えで頭がいっぱいだった。
大好きだった彼女と結婚することは私にとって不幸なことなんかではなく、
間違いなくその時一番幸せに感じていたことだった。
だがその思いも束の間。
準備を進めてから半年ほど経った頃、私は結婚はせず起業の道を選ぶこととなる。
それまで半年間、結婚した後の生活を考えた。
すると、どう見積もっても切り詰めた生活をしていかなければならなくなることに気づいた。
「それでは今は幸せでも将来的に誰かが苦しむことになる…」
それだけは絶対に避けたいと思った私は「転職か起業か」ということを考え始めた。
彼女とは再三話し合った。
その度に「あなたは無理だよ。起業って頭のいい人がやるんだよ。転職は賛成だけど起業は反対!」と言われ続けた。
彼女は地元の名門大学の出で、
勤めていたところもベンチャーから一部上場まで駆け上がった新進気鋭の大手企業。
そこで事業の中核を担う企画やマーケティングをやっているような人間で、
一緒に仕事をしている人たちも私と同じ歳で数百人を指揮する役員や上司など優秀な人に囲まれていた。
それと比べると自分はその日暮らしのチャランポランな生活をしているようにしか見えず、頼りなく見えたらしい。
実際、「じゃあなにするのよ!」と詰められると「わからない、、けど何か自分でやってみたい」と返すのが精一杯で、最後は「ほんと起業なんてやめな」という言葉で終わるのがオチだった。
私の結婚を楽しみにしていた母親からもたくさん反対された。
そのとき言われた言葉は彼女と同じだった。
「あんたじゃ無理よ。だってバカじゃない。」
上司にこっそり相談した時もそうだった。
「うーん、起業することはいいと思うけど、
うーん、、お前じゃなぁ。なんか人生甘く考えてるんじゃないの?」
それでも私は諦めなかった。
そのときの給料は手取りで19万。
何をどう計算してもお金も時間もない。
周りは何も変えてくれない。
周りは何も変わろうとしない。
それどころか周りは変わることを止めようとさえしてくる。
じゃあ自分が変わるしかない。
「自分の幸せのためだけではなく、否定する彼女や親の幸せ、まだみぬ子供の幸せを考えたら今変わって動けるのは自分しかいないんだ。」
私は一晩考え、寝ずにそのまま出勤し、いつも通り営業車に乗って営業先へ向かった。
2017年12月6日、朝の10時半のことである。 10時41分、現場に到着し一息ついたとき、何を考えることもなくおもむろに自分のスマホを取り出しある人へこう送った。
「俺もサラリーマンやめて起業しようと思う」 「っていうかする」
そのとき、歴史が動いた。
メッセージを送った瞬間、私は起業家になった。
その日のうちに彼女と母親にも伝えた。
悩んでいた時はあれほど反対して止めてきた2人は、やると決意をした私にはもう何も言わなかった。
そこから本業の仕事を疎かにするわけもいかなかったため、
繁忙期が終わる4月まで会社員生活は続くこととなるが、頭の中はこれからのことでいっぱいだった。
正直何をやるかなんて決めてなかった。
決意はしたものの「でも転職って選択肢もあるかも」などと迷いも大いにあった。
何度も何度も「あなたには無理よ」という言葉が頭をよぎってはかき消した。
その間ビジネスの勉強はしなかった。
なぜならやることが決まってないのに勉強する意味はないから、
まずはやることを決めてからと思っていたからだ。
これは本能的だったのかビジネス以外での経験が役に立ったのか、
私は「やることを決める時、自分で勉強して力をつけることで決まるのではなく、
誰かとの縁があって初めて決められる。」ということを理解していた。
そのため「アイデアノート」なるものも作ってはみたが、1ページだけ書いて捨てた。
そして2018年4月末、私は退職した。
まだ何も決まってなかった。
「集客」なんて言葉を初めて知ったのも会社を辞めた後だった。
会社の営業はルート営業で集客をする必要なんてなかったから。
しかし、そこからたったの2週間ほどで、起業コーチとして今の仕事を始めることとなる。
きっかけはたった1人の人間との出会いであった。
彼女は私のもとを去った。
だが不思議と後悔はなかった。
「お互いがお互いのことを想い合った結果、これが一番ベストだった」
となぜかすんなり納得することができた。
結婚を考えたことで将来へのビジョンが見え、起業という選択肢に気づかせてくれた彼女には本当に感謝している。
母親は心配こそすれどやると決めたことには応援をしてくれている。
起業した時に一文無しだった私は、母親からたくさんお金を借りた。
ある意味では私の起業に反対をした「敵」とも言える存在に私は頭を下げてお金を借りた。
自分で踏ん張りきれなくなった時に背中を支えてくれていたのは間違いなくこの人であり、
母親なくして今の自分はありえなかった。
会社から得られた学びもたくさんあった。
今思えば上司や先輩からいただいた言葉をもっと真に受けていれば
「起業してからこんなに苦労しなかったのに、、」と思えたこともたくさんある。
送別会の時に、
「田口さんはもっと失敗とか経験した方がいいですよ」
と言ってくれた営業アシスタントの後輩のことは忘れない。
本当にその通りで、その言葉を聞かされていなければどこかで挫折していたかもしれない。
こうして今までの出会いに無駄なことはなく全てが今の自分の成功に繋がっている。
「俺もサラリーマンやめて起業しようと思う」 「っていうかする」
このメッセージには私の決意だけではなく、私をそうさせてくれた全ての人たちの想いが詰まっている。
だから私はこの言葉を何度も見返し、その人たちの想いを何度も受け取り続けている。
そして今、指導してくれる先生や私が教えている生徒さん、
またこれから新しく出会う人たちの想いがまた私を動かしてくれている。
「俺もサラリーマンやめて起業しようと思う」 「っていうかする」
このメッセージは自分にとって、
「人との繋がりが成功を生むんだよ。だから人への感謝を忘れてはいけないよ。」
ということを1番身に染みて教えてくれる、自分だけの最高の言葉である。